広島高等裁判所 昭和39年(ツ)54号 判決 1965年2月10日
上告人 控訴人・被告 羽村正夫
訴訟代理人 岸本静雄
被上告人 被控訴人・原告 塩田正典
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担する。
理由
上告理由は別紙のとおりである。
土地賃貸人と賃借人との間において土地賃貸借契約を合意解約しても、土地賃貸人は、特別の事情がないかぎり、その効果を地上建物の賃借人に対抗できないと解すべきことは、論旨指摘の昭和三八年二月二一日言渡最高裁判所第一小法廷判決の示すとおりである。右の理は、建物賃借人を、土地の賃貸人、賃借人の恣意から保護するための信義誠実の原則の適用にほかならないから、逆に建物賃借人が賃借建物の敷地の使用権を主張することが信義則に反すると認められる事情のあるばあいは、右判例にいう特別の事情にあたるものとして、土地賃貸人は賃貸土地上の建物賃借人に対し土地賃貸借契約の合意解約の効果を対抗しうるものというべきである。
原審の確定した「上告人の中原健一からの賃借家屋の敷地である被上告人所有、中原健一賃借の土地に対し、仮換地指定処分がなされたところ、上告人は、昭和三五年五月八日頃中原健一及び被上告人に無断で右仮換地上に木造トタン葺二階建店舗一棟、建坪四坪、二階四坪の新築を始め、被上告人が中原健一にその責任を追求した結果、同月一〇日頃右両者間で土地賃借契約の合意解約をした。」との事実によると、仮に建物の賃貸人である中原において仮換地に建物を移築等して上告人をしてこれを使用せしむべき建物賃貸人としての義務を履行しないため上告人の建物賃借権が侵害されるおそれがあつたとしても、右仮換地に建物を建築所有すべきなんらの権原を有しない上告人において前記のとおり被上告人等に無断で不法に建物の新築を始めたことは、その建物賃借権の保全の限度を逸脱し、右建物賃貸人たる中原に対する背信行為であると同時に、被上告人の右仮換地使用権に対する侵害行為と認むべきものであり、そして、本件土地賃貸借契約の合意解約は上告人の右行為を理由としてなされたというのであるから、右はさきに説明した建物賃借人が賃借建物の敷地の使用権を主張することが信義則に反するばあいにあたり、上地賃貸人において建物賃借人に対し土地賃貸借契約の合意解約の効果を対抗しうべき特別の事情が存するものと解するのが相当である。そしてこのことは右合意解約後に仮換地上の不法建築建物が収去され、あらためて上告人の賃借建物が右仮換地上に移築せられた結果上告人が右移築建物の賃借人としてその敷地を使用するに至つたとしても、その理を異にするものではない。したがつて、前掲確定事実にもとづき被上告人は上告人に対し土地賃貸借の合意解約による終了を主張しうるとした原審の判断は正当であり、原判決に所論の違法はない。
よつて、本件上告は理由がないから、民事訴訟法第四〇一条、第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松本冬樹 裁判官 熊佐義里 裁判官 長谷川茂治)
上告理由
一、原判決は、賃借権に関する法理を誤つている。
二、本件の要旨は、上告人において、昭和二一年五月以来、岡山市内田一三五番地の三八、木造かわらぶき平家建店舗兼居宅(建坪約八坪)一棟の北側半分を中原増蔵から賃借し、居住して、精肉業を営み、昭和二六年八月、増蔵の死亡に因る相続によつて、増蔵の地位は、中原健一に承継せられたものであり、そして、(1) 同年一一月、借地人たる中原健一と協議して、同人所有の平家建に、上告人の費用で、二階部分を附設し、(2) 昭和三五年四月、岡山市都市計画の遂行に伴ない、本件仮換地の整備された頃、何故か、中原健一、植田順太郎の両名は組んで、上告人の賃借権を無視して、その仮換地に被上告人の応援(一説には、植田は、被上告人から仮換地を代金四〇万円で買取つたとか)で、家を建てる計画を進めたので、上告人は、自己の権利を害せられることを心配して、とりあえず、同月八日、木造トタンぶき二階建店舗兼居宅(建坪四坪、二階四坪)一棟の築造を始めたものの、同月一六日、被上告人から、工事中止の仮処分に付され、昭和三七年五月、岡山市都市計画課移転係長森分一夫の指図に従い、同月中旬、上告人は、仮換地の既設建物を除去し、その跡に、同月二一日、都市計画に基づく公権発動によつて、元地の建物(幾分は縮少)を強制移転したのが本件の係争建物に外ならないのであつて、前の仮換地使用の問題は、自然に姿を没し、今や、元地使用の法律関係を仮換地に及ぼして考察せらるべきものと化しているのである。
三、原審は、被上告人と中原健一との間で、昭和三五年五月一〇日頃なした本件宅地の賃貸借の合意解約を以て、その宅地に存する建物の賃借人たる上告人に対抗し得るものと判断し、その理由として、(1) 前掲二階部分の増築、(2) 仮換地の使用を挙げているが、しかしながら、(1) は、単に、平家建に、二階を附け加えただけで、敷地の範囲を増したわけではなく、建物の所有を目的とする借地人として、不法を犯したものでなく、(2) は、被上告人と中原健一、植田順太郎の両名が、仮換地の決定を機会に、上告人を追い払わんとする行動を察知した上告人は、やむなく、「自力救済」の措置に出たものであつて、その淵源は、むしろ、中原健一または被上告人に潜むものというべく、上告人の「背信」とせられたくない。なにはともあれ、中原健一は、被上告人から、土地の賃貸借を解かれなければならない事由なきもので、それにもかかわらず、中原健一が被上告人の申し入れに一言の異議も述べないで、解約を認容したということは、上告人の権利を妨げるための悪意の放棄であるか、通謀の虚偽表示であつて、上告人に対しては、その法的効果がない筈で、このところ、原審は、重大なる論点を看過している。なぜなら、上告人と被上告人には、直接契約上の法律関係はないにせよ、建物所有を目的とする土地の賃貸借では、その賃貸人は、賃借人がその土地に建物を所有して、自ら居住するばかりでなく、これを他に賃貸し、賃借人をして、その敷地を占有使用せしめることをも予想しているものというべきであるから、建物賃借人は、建物の使用に必要な範囲の敷地につき、その使用収益をなす権利を有すると共に、この権利を土地賃貸人に対し主張することができ、土地の賃貸人と賃借人との合意によつて、賃貸借契約を解除した本件のような場合には、これを、第三者たる上告人に対抗できないものであることは、民法三九八条、五三八条、の精神と信義誠実の原則に照らして明らかであるからである(昭和9.3.7大審院判決、民集一三巻、二七八頁、昭和37.2.1最高裁第一小法廷判決、民裁集五八巻、四四一頁……昭和38.2.21最高裁第一小法廷判決、裁判所時報三七三号一頁)。原判決は、違法で、首肯できない。